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梅田で働く不動産屋の日記
塩井の失敗談⑩ ~拝啓10年後の君へ(前編)~
2023-10-02
こんにちは、バイリンク株式会社の塩井です。
ちょっとしたことから始めた本ブログですが、気づけば10回目の投稿です。
最近ブログを書いているとふと思うことがあります。基本的には外向けに書いているブログですが、いつか自分で読み返す時もあるだろうなとか、これから会社の規模がどんどん大きくなってきて「若いころの塩井さんはこんな感じだったんだ」と読んでくれる新卒の子が出てきたりもするのかなと想像を膨らませたりしています。
私自身、入社したころは先輩のブログを読んだりしましたので、そういう意味では内向きのブログを書いてみるのも面白いなと思い今回は「拝啓10年後の君へ」というタイトルにしました。「君へ」というのは、自分自身や未来の新入社員も含まれます。
さて、前置きが長くなりましたが10年後はどんな人間になっているのでしょうか。入社当時もさらっと書きましたが、10年後の未来を語る前にここまでの私の社会人人生について改めて書こうと思います。
私自身この業界に飛び込んだのはいやらしい話ですが、稼ぎたいという気持ちが強かったからです。周りの友人はみんな大手のメーカーや銀行、商社などの名だたる企業の面接に応募する中、私はひたすら歩合率の高く自力で稼げる要素の強い中小不動産会社ばかり応募していました。もちろん銀行や商社もそれなりに待遇は良いですが、そのフィールドで自分の人生を逆算した時にあまり満足のできるものではなかったんですよね。やはり突き抜けるためには、市場規模が大きく成果に応じたリターンも大きい不動産一択だろうとひたすら稼げる会社を探していました。
そもそもなぜ稼ぎたいのかと思われるかもしれませんが「稼ぎたい」と思うから稼ぎたいのです。意味のある稼ぎたい理由を持っている人がかっこいいという風潮があり、目的もなく稼ぎたい人は浅いみたいなイメージが浸透していますが、個人的には関係ないという考えを持っています。
何に興味を持ち、何を好きになるかは人それぞれの本能的欲求なので、例えばバスケが好き、バレーボールが好き、野球が好き、会計が好き、営業が好き、マーケティングが好き、ゲームが好き、キャンプが好き、釣りが好き、ゴルフが好き、といった趣味嗜好に理由なんてあるのでしょうか。私はただその対象が稼ぐということだっただけです。バスケはチーム全体で攻撃も守備もするから好きだ、野球は一発逆転があるから面白い、ゲームは難しい場面を頭を使って攻略するから好きなど理由を述べれば人それぞれあるのかもしれませんが、私は結局後付けだと思います。本能的に面白い、興味深いと思うから取り組み、それにのめり込むからこそ、その分野の面白さを語れる訳で、理由→好きではなく、好き→理由という思考回路なので結局入口は本能的に楽しい、興味を持てるかどうかだと思います。
しかしそのような意味合いで、あえて稼ぎたい理由や、稼ぐことの楽しさを個人的にあげるとすると「達成感」と「幸福度の著しい上昇」でしょうか。稼ぐ=認められた数値だと私は捉えており、それだけ成果を上げた、お客様から認めていただいた、会社から認めていただいたという結果だと考えております。ある意味山登りの感覚にも近いかもしれません。頂上に着くまではすごく大変でしんどいですが、頂上に着いたときの景色とその達成感は表現しようのない幸福感があると思います。その景色を見るために日々頑張り、頂上の景色を見て、また次はもっと高い山に挑戦して良い景色を見ようと頑張れるのかもしれません。なので、基本的に私は貯金しません。稼いだ分楽しく使って、また頑張ってもっと稼ごうと思うタイプです。まあそんな性格なので、今稼いでいた時の住民税の支払いに結構しんどい思いをしているのですが、、、
話を戻しますが、そんな稼ぎたいという気持ちを持ち新卒で入社した会社は数年後に上場を目指す飛ぶ鳥を落とす勢いの不動産会社で、主に実需の不動産仲介を行っていました。もちろん稼いでいる人が多い会社だったのですが、入社するタイミングが悪く内定が決まってから、上場を目指すにあたり給料体系も大幅に変更されてしまいました。基本的には年次と等級で給料が上がっていく方向にシフトし、大手の不動産会社や一般的な企業と変わらない体系に変更されました。やってしまったとかなり後悔しましたが、人柄が良い人が多く特に代表には非常に可愛がってもらえていたため、ここでしばらくは頑張るかと決意しました。
今思えばえげつないのですが、朝の7時に出社し、夜中の3時まで働くような生活をしていました。一日の流れでいうと、①朝一新規の物件情報を精査→写真撮影→A4一枚分の物件レポートの作成→案内・役所調査など→営業ミーティング→ポスティング2000枚と毎日ほぼ休むことなく働いていました。でもやはり先を見たときにどうしてもモチベーションが上がらず悩んでいたタイミングで、過労による居眠り運転をしてしまい神戸駅の交差点で交通事故を起こしてしまいました。幸い相手に怪我はなく、車の修理代を保険で払う程度で済んだのですが、そこで大して稼げない環境でこんなに頑張って「何やってんだろう」とプツンと頑張る気力が切れてしまいました。
そこで地場の不動産会社に転職することになるのですが、そこは正に昔ながらの不動産会社で数字を上げてない人に人権は無く、まさに毎日サバイバルといった環境でした。その分成果を上げた時のリターンも大きく、性格柄か意外とその環境がフィットし20代では到底得られないような金額のお給料を毎月持って帰れるようになりました。今思えば三宮の街で飲み歩いたり、飛行機を急に取って思い付きの日帰り旅行に行ったりと本当に毎日楽しかったです。しかし、人生良い時もあれば悪い時もあり、そんな楽しい毎日はそう長く続きませんでした。また前職と同じように給料体系が変わるタイミングがあり、コロナも相まってあまり居心地の良い環境では無くなってしまいました。私自身当時はまだまだ子供で会社の体制に納得いかない部分も多く、幹部とぶつかることが増え、いっそのことフルコミに挑戦してみて同じような成果が上がるなら独立しようと決意し辞めました。
しかし、ここから一気にどん底人生に転がり落ちていってしまいます。今まで自分は出来る営業マンだと思い込んでいたのですが、結局それは単なる慢心で会社に多額の広告費を使って集客してもらい、物件を仕入れてもらい、お膳立てしてもらった上でゴールを決めていたに過ぎませんでした。フルコミになった瞬間、集客も物件を引っ張って来るのも自分自身です。経費ももちろん落ちませんので、手出しです。まったく数字が上がりませんでした。独立どころか、フルコミですら大した成果を上げられない自分に嫌気がしましたね。もちろんフルコミですので、数字を上げないと給料はゼロで貯金が底を付きかけたタイミングで辞めてしまいました。
そこからはどんどん迷走していき、不動産会社に戻るのは変なプライドが邪魔して司法書士の資格を目指してみたり、生活を繋ぐためウーバーイーツをしたりと正に絵に書いたような転落をしていきました。
でもこのままで良いわけないと、自分の求めるような人生を歩むのにはどうしたら良いのか本気で自分を見つめ直し、冷静に客観的に考えまくりました。その時、確かにフル込みでは成功しませんでしたが、「しっかり環境が整っている会社でならお前は成果を上げられるだろ」と脳内でリトル雅幾が語りかけて来ました。そこで、不動産会社に戻るなら今度は骨を埋める覚悟で本気で挑戦しようと思いあらゆる求人に目を通しました。下手するとその辺の人材系営業マンより業界の求人状況には詳しかったと思います。
しかし、半ば知識がある分選べないんですよね。年齢がある程度いくと結婚できないと言われるのと同じで、分かってしまうことが多くなると「ここは良いけど、ここが惜しいな」となかなか決め手となる企業と出会うことが出来ませんでした。そこから紆余曲折あり、バイリンクと出会うわけですが、少し長くなりそうですのでバイリンクに入社してからの話と10年後の話は後編に続きます。
私の歩んできた浅い人生の軌跡ですが、自己開示し塩井という人物像が見え隠れする内容となっておりますので、後編も是非ご期待下さい。
ここまでお読みいただきありがとうございました。