社長ブログ
謙虚と傲慢
2025-03-06
謙虚と傲慢
謙虚である事が大切。と世間ではよく言われます。ビジネスや仕事でもそうですし、プライベートな人間関係でもスポーツの世界でも謙虚に勝る美徳はあるでしょうか。もしかすると無いかもしれません。
それでは謙虚とは一体何なのでしょうか。
一般的には控えめな態度とか、過度な自己主張を避けたり他人を立てたりするイメージがあると思います。
辞書で調べると、「自分を偉いものと思わず、すなおに他に学ぶ気持があること。」とあります。
感謝の気持ちを持つことも近いかもしれません。
どれも間違ってはいないと思います。謙虚という概念の一面を表現している事は間違いありません。しかし、私は世間一般で言われている謙虚という言葉はピンとこないのです。
上記の謙虚は悪い事ではありません。むしろ良い事でしょう。しかし、お金を稼ぐ事、他人から尊敬される事、良好な人間関係を築く事、全てにおいて最高の美徳とするにはなんだか少し物足りないのです。
ここ最近謙虚という概念について考えていました。謙虚とは何だろう?曖昧な概念ではなくもう少し具体的にカタチのあるものとして理解したい。
ところで私は常々思うのですが、この世の中で何かを得たいなら何か代償を差し出す必要があると思います。
それは時間なのかエネルギーなのかお金なのかわかりませんが、ビジネスに限らず夫婦関係や友達関係でも同じです。一方的に何かをしてあげるだけ、してもらうだけの関係は長続きしません。ビジネスでいえば長続きどころか短期間でもそもそも成り立たないでしょう。
50万円分の仕事しかしていないのに、100万円の報酬を欲しがる人は謙虚ではありませんね。
1万円しか払っていないのに5万円分のサービスや商品を欲しがる人も謙虚ではありません。
私は、ギブに対して大きなテイクを求める人の事を傲慢な人だと理解しています。
逆に大きなギブに対して求めるテイクが小さいあるいは何も求めない人は謙虚な人です。
最小の努力で最大の結果を得る、みたいな事がとても良い事みたいな風潮がありますが、とても愚かな事です。そんな考え方が流行って間に受ける人がいれば世の中から謙虚な人が減ってしまいます。効率を求める事、見返りを求める事、全て傲慢な心の表れです。
沢山努力して、得られる結果が少しだったとしてもその少しの結果や努力出来た事そのものに感謝出来る人は結果的に大きな結果を得ます。
言い方を変えると、大した努力もしていないのに結果を求めるのが傲慢だと言いたいのです。
小さな結果のためにどこまで大きな努力を出来るか?人間性が問われている事に気付けるかどうかです。
私達の住む世界には年がら年中、誰かに裏切られたとか恩を仇で返す様な事をされたとか言ってる人がいます。
あれだけ可愛がってあげたのにとか沢山親切にしてあげたのに、とか言う人いますね。
それはおそらく大した事はしてあげていません。
大した事をしていないのに他人から尊敬とか感謝とかを求めているのでしょう。愚かですね。
いつも異性に振られる人もそうですね。誤解を恐れず言うと愛情というのは無料では無いのです。それを無料で得ようとするから振られるのです。無料というのは金銭的な事に限りません。
その人自身の魅力の事もあるでしょうし、時間や気遣いの事もあるはずです。
どんな商売にも言える事なのですが、1万円使うお客と100万円使うお客。100万円使うお客の方が大切だと思う人が多いかもしれませんが、実はどちらも重要なお客なのです。1万円使って1万円分のサービスに感謝してくれるお客と100万円使って1000万円分のサービスを求めるお客、どちらが良いお客でしょうか?もっと言えば客観的には5000円程度のサービスの対価として1万円を喜んで払ってくれるお客は長期的に見ればお店や会社から最も良いサービスを受ける人になれる可能性がありますが、それはその人が謙虚だからです。
そうです。私達は謙虚な人とお付き合いがしたいのです。
そういう事を言うと経営者や企業による搾取だとか言われるかもわかりませんが、まぁいいでしょう。
権利意識が強い人は尊敬されないものですが、おそらく謙虚でもありません。
権利意識は私達を腐らせる事はあっても守ってくれる事は無いのです。皮肉な事ですが。
いかがでしょうか。
以上が現時点で私が感じる謙虚という概念です。
極端な事を書いていますが、間違っているとは思いません。