社長ブログ
感謝の誤解
2025-11-03
<感謝の誤解>
感謝の心が大切だとよく言われます。感謝の心を忘れると傲慢になるとか、素直さが無くなり人の話を聞かなくなるとか、人間関係もビジネスも上手くいかなくなると言われています。
私は感謝の心が大切な事に関しては100%同意です。ビジネスでの取引関係もそうですし、感謝の心を失うと夫婦関係や恋人、友達とも少しずつギクシャクしてくるはずです。また、感謝の心が無い時の精神状態はとても危うく、情緒面でも不安定な状況に陥る可能性が高いと思います。
その大切な感謝の心ですが、一般的な理解として少し誤解されていると思うのです。
例えば、良い事が起こったり他人に親切にしてもらったりすると自然に感謝の心が芽生えると思います。美味しいお米を食べて、お百姓さんに感謝するとか、誕生日を祝ってもらったりプレゼントをもらったりすると嬉しいですよね。
しかし、良い事に感謝出来るというのは当たり前の事です。特別意識したり修行が必要な事でもなんでもありません。よほどひねくれた人で無ければ嬉しい事があれば感謝します。もちろん良い事が日常的と言いますか、当たり前になってくると感謝の気持ちを忘れる事もあります。その時に今自分の身の回りの当たり前だと思っている事は実は当たり前では無いのだと思い返すのはとても重要な事だと思います。
当たり前に感謝出来る事が素晴らしい事は間違い無いのですが、それだけで十分なのでしょうか?私はもう一段上のレベルがあると思うのです。
それは嫌な出来事や不運な境遇に対して感謝出来るかどうかでは無いでしょうか。
とても難しい事だと思います。嫌な人や不運な事に感謝するなんて、感情的に大きな抵抗があって当然です。しかし、感謝出来ないとしても感謝しようとする事や、少なくとも恨みを持たない様に意識したり努力したりする事は人間として精進する上で必要不可欠と言っても良いでしょう。
私自身の人生を振り返ってみると、嫌な先輩がいる時の方が能力が伸びた実感があります。
給料が安かったり、労働時間が長い時の方がお金や時間の使い方を工夫して知恵を使いました。歩合率が低かった時の方が沢山契約をしたかもしれません。その時々で困難に対して感謝出来たかと言うと必ずしもそうではありませんが、嫌な事や苦労に対して感謝の心やポジティブな感情を持つ事が出来る様になると、人生の色んな面が好転していく様に思います。
また、考えようによっては、悪い事が起きる事は良い事も悪い事も何も起こらないよりも、良いと考える事が出来ます。何故なら不運なイベントや困難は私達に課題をプレゼントしてくれるからです。課題は私達にとって最も足りていないものかもしれません。解決策や答えを血眼になって探す事は多いかもしれませんが、必死になって課題を探している人はあまりいない様に思います。しかし成果を出したいと願う人にとって足りていないのは答えではなく、むしろ課題であり問いなのです。
(先ほどから不運という表現を使っていますが、それは運というよりは、そんな不運な出来事を引き寄せる何かしらの原因が自分の中にあると考えるべきです。そういう意味で言うと運ではありません。運というのは自分の心構えや努力と切り離して考えるべきではなく、心構えや努力の結果、起こる事がいわゆる運なのです。)
どこの職場にもうっとおしい先輩がいると思います。仕事していても良い事ばかりではありません。こんなに沢山給料もらっても良いのかな?と思う事がある反面、何故こんなに歩合が少ないのか?と納得出来ない事もあるでしょう。
そんな時に「ありがたい」とは普通は思えませんね。
しかし、抵抗はあると思いますが、そんな一見ネガティブな出来事はそれと共に現れる課題に立ち向かっていく事で自身の心を強くしてくれます。
事故にあったり、詐欺に引っかかったり、レストランやホテルの予約が取れていないとか、理不尽な出来事は世の中沢山ありますが、そのイベントは何かを教えてくれているのです。重要なのはそんな不運なイベントから何を学ぶかではないでしょうか。
悪い事、嫌な事にも感謝出来る人が次の幸運を掴むのだと私は思うのです。

